2000.9.9号 06:00配信


Home


第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊
「食と生活の記録」より/by 西村淳


「昭和基地味醂が切れた」

9月も20日を過ぎて、「昭和基地」から10月に搬送して貰う「燃料補給」に付随して、交換しあうもろもろの物品のMAIL交換が盛んになってきた。食糧部門では、昭和基地調理担当の北田隊員からいろいろ不足している物、使ってしまった物のリストが送られてきた。

それによると、「昭和基地」では完全にない物として、
鰺の干物・納豆

切れた物
味醂・めんつゆ・ほんだし、クリームシチューの素

不足している物
寿司ネタ・冷凍小口長ネギ・ジャガイモ

との事。

この内、鰺の干物は最初に昭和基地に飛びたった「昭和越冬隊」のために私が現場監督で「しらせ冷凍庫」から搬出したつもりであったが、どうやら忘れたらしく昭和基地の皆様は8ヶ月「鰺の干物」なしで生活していたようだ。そのくせドームの分は忘れないで持ってきているのだから人間なんて勝手なものである。ドームには36次・37次隊で消費しきれないで残った「鰺の干物」が段ボールに数箱残っており、今回持ち込んだ分までは到底食べきれないと思われ、気持ちよくドーンと持ち帰って貰うことにした。

納豆もこれ又最初からなく、朝の食卓に納豆が並べられる事はなかったみたいだが、これは搬出時に、リストにもなかった事から昭和基地の調理担当チーフ「鈴木隊員」が積み忘れをしたと思われる。ドームはと言えば、なぜか納豆好きの隊だった見えて、36次・37次分合わせて段ボール7箱分が雪洞で堅く凍り付いたまま貯蔵されていた。が、これは落盤した雪洞でなぜか天井をささえるように縦一列になっている。越冬初期に「これは後にしよう!!」と見て見ぬ振りをしていたが、なまけ続けて早8ヶ月。「昭和基地」のために何とかしなければと消極的ながら心に誓った。

私が密かに練った作戦は、福田ドクターと西平盆を連れていく→ドクターは力持ちなので安全地帯で待機→盆を横に置いて納豆搬出作業→落盤→盆の陰に隠れ彼をショックアブソーバに使う→ドクターが2人の救出作業開始→その間つぶれた盆の陰でひたすら助けを待つ→無事救出→もしかしたら盆は殉職→涙ながらにお骨は私が日本まで・・・・。と私だけ2重3重の安全対策を講じていた。もしこれを「盆」が耳にすると彼との長く続いている友情も終わるかも知れない。

こんな風になっていた。ほんとにこわかった!!!!!

注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



あなたのご意見やご感想を掲示板に書き込んでください。

indexbacknext掲示板

Home
(C) 1999 Webnews
ご意見・ご感想・お問い合わせは webmaster@webnews.gr.jp まで。