2000.7.13号 06:00配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊
「食と生活の記録」より/by 西村淳


「燃料搬送大作戦2」

緊急を要するとてつもない問題が持ち上がったとき日本ならどうするか?まず各担当者より経過説明がなされ、責任はどこにあるのか?責任をとるべき人間は誰なのか?等が延々と論議され、肝心の対策については後回しも後回し。2ヶ月位立って、スケープゴートが決まってからやっと本題に入ることだろう。ここでそれをやったらどうなるか・・・・

手持ちの燃料は泣いても、吠えても1週間。だらだら時間をかけていると、議案事態が凍り付くどころか、文字通り人間の方が凍り付いてしまう事になる。表だっては責任者の追求はなかった。あくまでも表だっては・・・・。

ミーテイングで、食事の席で、居酒屋で、休憩タイムで、「どうしたらこの事態を打破できる」かと喋る前に、ほんの少しでだが「なぜこんな事になってしまった」のかと言う話は確かに出た。越冬隊とて普通の人達が集まっている。一人一人が数え切れないほどの仕事を抱えている中で、それに比して重い仕事がのしかかってくるのは、凄まじいストレスだった。当事者の機械隊員とて同様で、いくら日本で様々な講習を受けてきたと言っても、ー70℃で機械がどんな影響を受けるのか体験できるシュミレートシステムは少なくとも南極観測隊にはない。頼りは越冬した先輩達の助言とアドバイスそして経験、これに頼るしかないのが現実である。

厳寒時に走ることを想定して誕生したSM100型の雪上車。キャタピラーを抜かせばすべての稼働部がクローズ・ド・システムによって守られ、昭和基地周辺のー40℃位ならばそれこそメンテナンスフリーと言い切れるスーパースペシャルプロトタイプ車もドームのー70℃の超低温には走ることを許されなかった。日本でならばミスといえないミス。ほんの数日不凍液の抜き取りタイミングを誤ったばかりに、すべての車両は堅く堅く凍り付いてしまった。

一番落ち込んで、責任を感じていたのは機械担当「佐藤隊員」だったろう。普段から物静かな人物だったが、この時期は深く、暗く沈んでしまい、まさに深海調査船の「トリエステ号」の様だった。人間落ち込むだけ落ち込むと、体内の安全センサーが作動するのか、「居酒屋」等で「非公式ながら慰めよう会」を開催し、アルコールを少々体内に入れた途端、佐藤隊員突如潜水艦からジェット戦闘機に豹変したこともあった。「だからさー悩んでいたってしょうがないって!! 大丈夫何とかしますから!!!」と自信満々断言する彼に、今度は別の戦闘モードのスイッチに切り替わった隊員が「てめえのその態度はなんだ!!!」と艦砲射撃と空爆を加える場面も多々あった。普通なら「表に出ろ!!」と大喧嘩になるところだが、もともとは大風呂敷を広げたと言うよりも、自分自身にエールを送るつもりで無理に朗らかにふるまっていた佐藤隊員。またまた潜水艦に舞い戻り深く、静かに深海に帰っていった。人間の生態観察の視点から見れば、非常に興味深いのだろうが、今考えてみてこの時期が最も暗く、そしてドーム越冬隊が内部分裂寸前の危機に満ちた、超やばい時だった。

「機械力を使っての普通の状況」

注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



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