2001.6.19号 07:00配信


さくらうめこの梅小路

6月18日(月曜日)「小さき命」

(サロマ町:うめこ)


【ごりさんメール】

4時発
ただいま 金浦! 薫製 始めまーす鳥海山に一日中しびれちゃったよー でも明日も登らんぞー!美人は遠くから眺めよ です!


ごりさんとの出会いは春うららのさなか。いつの間にかもう夏。

春には毎年新しい命の息吹を感じ、なぜか小さなかわいい命を感じたくなり、今年はそれを熱帯魚を飼うことで応じたつもりでした。それがなぜか今頃、もう初夏になっているのに、先日は野ウサギの子が我が家に運び込まれ、余りの小ささに野に放つ気になれず、うちの在来のウサギさんと一緒に取りあえず過ごしています。野生のモノはたとえ赤ちゃんでも精悍であり、たくましさやいさぎよさをも感じます。

今日は朝からなんとなく「ミャーミャー」という声が耳につき、とうとう我慢ならず裏の神社のあたりを探してみると、いました、やっぱり子猫でした。でも、見に行ったのは大失敗、あまりにも小さく、また目が炎症のためか開かないような子猫だったのです。でも見てしまったわたしの負け。以前にも拾っ子猫でうちの猫ども全員が感染症にかかり、ひどい目にあったことがあるので安易に家には入れられません。とにかく病気があれば直してやらなくてはと思い、獣医のところに電話をして「捨て猫を拾ったのですが具合が悪そうなので診てもらえますか?」と言ったつもりです。なのに返事は「それはうちではない、役場に言って。」というものでした。「違うんです、感染症の有無を診て欲しいという意味なんですが。」と言っても「わかるかな・・」と取り付く隙を与えない言い方に、最近短気なわたしはカッっとなり「もうけっこうです。」と言ってしまいました。

捨て猫と聞いた途端に処分を考えられたような気がして、情けなく悲しかったです。悔し涙さえ出そうでした。でもこのままではあまりにも可哀想だし、こうなったら人に頼らずどうにかしてあげようと、外でホウ酸水で目を拭いてやると、かすかに目を開き必死になってついて来ようとするではありませんか。動き始めると意外と元気で安心しました。

命の大切さと良く言いますが、動物の命って何でしょうね。野生の動物の場合は飼うこと自体罪かとも思います。でもこの子ウサギの場合、放っておくと狐や大きな鳥の餌食になる可能性も大きく、それを思うと今このままでは放せないのです。それも自然の摂理と言えばそれまでですが。

捨て猫も、処分する訳にはいかないとえらそうに言いつつも、うちでは飼えないかもしれないのです。だからと言って、あのままにはどうしてもできなかった。それでも最後まで責任を持つことはできないかもしれない。わたし自身の気持が一番中途半端かなと思いつつ、この小さなかわいらしい命の姿をしばし眺めいりました。どんな生き物も赤ちゃんはかわいいです。「小さき命は守るべきもの。」という、神の言い付けの表れのような気がしました。


子猫

子うさぎ




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