2001.3.16号 07:00配信


ストライキ

(紋別市社会福祉協議会:篠原辰二)


1月1日、本来ならばこの日に支援先であるベトラワティ村までローカルバスで移動するはずだった。しかし、昨日、結婚式のパーティーでネパールの治安と僕等のみの安全をその場の人達と話をしているとき、ストライキの話を聞いた。ストライキ、日本では多くの企業組合で昔から良く耳にした言葉であるが、今日ではさほど耳にすることはなくなった。

1月1日、そして2日とネパールの国はストライキを起こしていた。ネパールのストライキは、その行動を起こす者は企業家や組合員ではなく、この国に住む国民一人ひとりであった。ストライキと言うよりもデモクラシーとでも言った方が良いかも知れない。国情が良くならないことに国民は憤りを感じ、その責任を国家に当てた。多くの商店は店のシャッターを下ろし、昨日まではクラクションの音でうるさかった街からはタクシーや他の車の姿がなかった。観光シーズンのこの季節、観光収入が国家予算の多くを占めるネパールでは、観光客を待ち受ける店が閉まり、足となるはずのタクシーが無くなったことは大きな痛手でもあった。

しかし、観光で収入を得ているのは国だけではなく、最も痛手を被っているのは国民一人ひとりである。自分の利益を痛手に感じても、国に対しての意を決しストライキを起こす。生きるために皆必死である。国を変えようと国民が意を決し奮起する。過去の日本の歴史にはあるものの、今の日本には考えられない事だろう。日本もそうだったように、経済の成長や急激な社会の移り変わりの前には国民による様々な運動が少なからずある。ネパールも同じ事だろう。こういった憤りが積み重なり、酒を飲んだ席にエネルギーを爆発させてしまうのか。きっと昨日のケンカも同じ事なのだろう。僕等はシバに二人だけでは外出しないようにと念を押された。ネパール語も英語もつたない僕等への心配もあったのだろうが、どうやらそれだけではない物々しさが感じられた。

午前10時、シバと共に外出をする。ストライキのこの日はどこへ行くにも歩くしかない。普段から車を運転している僕等には歩くことすら大変なことだった。いつもならば雑踏の中にあるカトマンドゥもこの日ばかりは静寂に包まれている。大きな通りには10人ほどの警察官を乗せたトラックが行き交い、ほとんどの交差点には5人程の隊をなした警察官が警備を行っている。「警察が忙しいと国がダメな証拠」とシバが言う。どこの国も同じ事だろう。正午過ぎ、タイムリーな地元新聞が刷り上がり、街には新聞売りが大きな声でその見出しを読み上げ客を集めている。1部3ルピー、渋い顔をして新聞を読み返すシバ。他の購読者達も皆同じ表情だ。大晦日の昨夜、政府高官の家がテロリスト達に襲撃され、爆破されたという。しかも1件だけではない、同じ様な事件が3件もあった。やはり治安は悪くなっている。僕等の旅のスケジュールも大きく変えざるを得なかった。これもこの国の現状であることを心に留める、仕方がない。今、危険な国も街もいずれかは安全がやってくるだろうし、貧困が厳しい街にも豊かさがやってくるのだろう。しかし、現実にはその「逆もまた正なり」と言うことも受け止めなければならない。難しい問題だが。



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