2001.3.13号 07:00配信


再会

(紋別市社会福祉協議会:篠原辰二)


日本時間の21時50分、RA412便。僕等の乗ったその飛行機は無事にネパールの首都カトマンドゥにある、トリブヴァン国際空港に降りた。機内のアナウンスと共に、3時間15分ある日本との時差を巻き戻す。普段、時計などを身につけない僕は、昨日札幌市内で格安のアナログ時計を購入した。

これまで僕等が利用したRA(ロイヤルネパール航空)は、日本や中国で使用し、払い下げとなった機体を塗装しなおし使用していた。機体の内部はヒマラヤの山々が連なるペイントを施し、ネパールの雰囲気を漂わせていた。しかし、今となっては現役で使用されるギリギリのその機体は、リクライニング無し、テレビスクリーンも無し、しまいにはシート自体が機体本体とくっついていないものもあった。

しかし、古すぎたその機体は、日本からネパール間を飛ぶには古すぎ、2000年からオーストリアの航空会社に飛行機とパイロット、それに乗務員のレンタル契約を結び、新たな翼として活躍していた。ボーイング767、機体は言う事無しの立派なもの、スクリーンも付いている。もちろんリクライニングだって付いている。以前に乗った古い機体が懐かしい。今も尚、国内線で使用しているという、事故が起きなければいいが。関西空港から9時間30分。遥か6000Hの空の旅だった。

カトマンドゥは雨だった。
ネパールは11月から5月までの間、乾期のため雨はほとんど降らないはずだ。この時期の雨は珍しい。この日正午過ぎから降ったこの雨はカトマンドゥの街に潤いを与え、この街の名物であるスモッグと土埃を消し去っていた。空港の入国審査、毎回ここが一番緊張する。一対一で審査官と話をしなければいけない。以前にも記したが、僕等は英語恐怖症。英語がほとんどできない。僕は英語で話をしてくる審査官に対して、ネパール語で答える。ちょっと変な光景である。

本間くんも時間はかかったが何とか通過、無事に二人共に入国できた。一緒の飛行機に乗っていた日本人の中には、ビザの取得で折り合いが付かず困っている人も数名見受けられたが。千歳空港から預けていた僕等の荷物をカートに載せ空港の外に出る。空港の外はホテルの斡旋、タクシー運転手、ツーリスト会社、ガイド、そしてストリートチルドレンなどで溢れかえっている。毎回の光景。彼等は観光客の荷物を勝手にタクシーに詰め込んだり、荷物を触ってくる。その後は必ず「チップ!」と一言。この人混みの中で自分たちの荷物を無くしてしまう人も多い。僕は彼等を無視し、必要以上に近づいてくるものは追い払っていた、が、後ろを振り返ると本間くんの周りにはすでに子ども達で覆われていた。

空港の外ではシバが迎えに来てくれていた。シバ・ラミチャネ、僕がネパールに来るようになった時からの親友。99年には紋別にも訪れ、10日間ほど滞在した事もある。現在、旅行会社で働き、観光地へのマネージメントなどをしている。今回の僕等の旅も、彼にホテル等の予約を頼んだ。およそ1年ぶりの再会。握手を交わし、「サンチャイ?(元気だったかい?)」「サンチャイチャ!シンジタパインライ?(元気さ!シンジあなたは?)」と、ネパール語での会話が進む。

気温約7℃。肌寒い雨のカトマンドゥでシバとの再会を果たす。町並み、臭い、人、そしてシバは以前と何ら変わらずそこに存在した。



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