1999.12.25号 07:00配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より


by 西村淳

「又帰ってくるぞー」
南極観測隊の一年ごとの交代はヘリコプターで行われる。飛行時間にして5分前後、沖合に停泊している南極観測船「しらせ」までの短い旅である。海氷の上をとことこ歩いていっても可能な距離であるが、そこは知名度はメジャーな「南極観測隊」である。ドラマチックな演出をつけるべく昭和基地のヘリポートから、残される次の越冬隊が見送る中涙々の出発をするのである。

昭和基地
昭和基地


ちょうど一年前、私達30次隊が南極に残された時も万感の想いをこめて帰国する夏隊を見送った。日頃あまり仲のよくない人もヘリコプターのジェット音と、ゆっくり浮かび上がっていくロケーションには、思わず涙が頬を伝い、かたい握手と抱擁とともに別れを告げることができた。ヘリコプターが東オングル島を一周し、ローパスでヘリポートの上を機体をローリングしながら飛び抜けていった光景はまさに感動の嵐で、「一年後は俺たちもあのように・・・」となるはずであった・・・が・・・・30次隊の南極を去る時に乗せられたのは、ヘリコプターならぬなんと雪上車に引っ張られた橇であった。天候が思わしくなく、ヘリのフライトがキャンセルになったのである。

海上自衛隊の航空機の安全規則は非常に厳しく決められており、いくら地上で晴れていると泣きながら言っても、「しらせ」の航空管制が「だめ!」と言ったらだめである。30次隊では、このヘリコプターオペレーションで「すか」をくらった事がなんどかあり、当時まだ越冬隊が常駐していた「あすか基地」に物資を運ぶオペレーションでホワイトアウトのため、臨時へリポートのあった内陸地帯に撤収時間になってもお迎え便は現れず、食糧もなにもない結構やばい状況だったこともあり、「しらせ」が目の前に見える沿岸地帯まで、雪上車をとばしたことがあった。ようやく到着したがVHF無線から響いてきた無情な声は「本日のフライトタイムはもう過ぎたため、今日はなんとかそこで野営して下さい・・終わり。」時に1989年12月24日のクリスマスイブであった。

雪上車は「あすか基地越冬隊」が持っていってしまったため、残された7名はそこに緊急避難場所として放置されていた「居住カブース」と呼称されている橇の上に乗った4畳半位の箱の中で、聖しこの夜を過ごすことになった。がさこそやって出てきた食糧はなんと第7次隊が使用した残りのパンと紅茶のテイーバッグ。23年前の代物である。それを灯油コンロであぶってなんとか口に入れ、夕食とした。肴はときおりクリスマスパーテイーで盛り上がっている「しらせ」艦上からの「ケーキとローストターキーとドンペリで盛り上がっていまーす。届けましょーか・・どうぞ」とよけいなお世話を焼いてくれる酔っぱらった隊員諸氏の声。内心ではウルセーと思いつつ「私達は大丈夫ですから心配しないで下さい。」の無線に「全然心配してませーん。まだ飲まなければならないのであまり呼ばないでくださーい・・さようなら」 顔で笑って、心にはリベンジの火を燃やしつつ翌日「しらせ」に降り立った23年前のパンをケーキの代わりに食したチームは、ウェスタンラリアートと椰子の実割を武器に二日酔いでうなっている親切な隊員たちに丁寧な挨拶をしてまわったのは言うまでもない。

別れの風景はどうやらてきぱきと進んでいった方がよいみたいである。空港でも、駅でも「さようなら」「またね」くらいの声を軽く掛け合って、飛行機は空へ、列車はホームを滑り出ていく物であるが、時速2kmの橇だと「じやーお元気でー」と別れてから5分位して、振り返るとほとんど大きさが変わっていない。これはなんとなくばつの悪い物で、転勤していく上司を駅のホームに見送りに行って、発車ベルが鳴り響くと同時に満面笑みを浮かべて万歳三唱した瞬間に発車時間の延期のアナウンスが流されたような、帰るに帰られずかといって話すこともなく、沈黙タイムが延々と・・・。 みたいな光景が続くのである。
一年間苦労した結果がこれでは(ほんとは他人に苦労をかけた)しまらない事おびただしい。アデリーペンギンが雪原を移動する速度よりも遅い橇の中でがたごとゆられながら心の中で呟いた。
「I WILL be BACK!!」





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