2001.10.12号 07:00配信


オホーツクの町村紹介

生田原町

週刊webnewsの読者登録はこちらからおこなえます。

ここは、webnewsで発行しているメールマガジン「週刊webnews」で特集したオホーツクの町村紹介を再収録したものです。「町村紹介」は、町外者の視点で見た町の紹介を基本コンセプトとして毎月第三水曜日の配信号に掲載しております。オホーツク管内には26の市町村がありますが、その中から町村のみをとりあげ毎月紹介します。


生田原町(いくたはらちょう)人口2,741人(2001.4.30現在)
「今朝も快晴。澄んだ空気と青空が広がっています。」という書き出しで始まっている「週刊いくたはら」の生田原町におじゃましてきました。http://www.ohotuku26.or.jp/ikutahara/


生田原の町の印象
町並みは古く、時々とてもレトロで素敵な建物に出会うことができます。“アイスの林さん”は、かつては秘密の穴場だったけど、最近は夏になると観光客の車が店先に並ぶようになり、こうなると面白みが薄れてしまって、残念無念。昔ながらの懐かしいお味のアイスが売り物でーす。

「食べ物屋はあんまりないよー」と言われたけど、あまりにもお腹が空いたので唯一のお勧めどころ、ちゃちゃワールドのレストラン“カフェ・ル・ジュエ”に寄ってみたところ、なかなかの満足度でございました。

クリ−ミ−オムレツはボリューム満点で、しかもケチャップ味でないところが及第点、ポン!
アップルカスタードは「これはなんぞ」の問いに「揚げピサでござる」とはお店のおばちゃんの回答。確かにピザ生地を揚げたのであろうが中味は名前のごとくリンゴとカスタードクリームでおいしいお菓子でありました。紅茶がポットで出るのでお代わりができてこれもうれしい。

お店の名前は「フランス語でおもちゃという意味がルジェでござる」とおばちゃんがちゃんと教えてくれました。若者に喜ばれる洒落たお店だけど、時々ハイカラを理解できない町民の餌食となって、おいしいドレッシングサラダもマヨネーズをかけられるのだとさ、お気の毒に思います。

ちょっぴし行ってみた稲荷神社、中にお狐さんがお祀リされているから見ておいでとは言われたものの、開けてみる勇気などどこかに飛んで行ってしまうほど薄気味悪かったのです、はい・・・。こんな神様に生田原はお守りされているのかと心配しましたが、反対側にこれまた立派な生田原神社を見つけ、他人事ながらひと安心して帰りの途についた次第でございます。


生田原の太田さん
まずはオカジマンの思ってた“太田さん像”そしてオカジマンの見た“太田さん”の印象をどうぞ!
オカ
『太田さんとはこれまでメールだけのお付き合いでその印象は「長靴を常用していて」「作業服の上下で」「眉が濃く」「わりと髪型には気をつかわず」「すっぱすっぱタバコを吸い」「血液型はO型で」「洗車なんかはあまりせず」「見かけは“熊”」のイメージをず〜〜〜〜〜っと抱いておりましたが、先日の取材で役場におじゃまし現ブツを拝見すると“ありゃ?”“ほんとに太田さん?”っていう感じでした。その際、太田さんにさん対するぼくの第一声は「太田さんってマトモな人なんだ」でした。シツレイなやつとお叱りください。』とのことです。


レポーターの見た“太田さん”
○「週刊いくたはら」のお世話係り
○でもパソコンとかネットとか好きじゃない
○それをうまくごまかす才能がある
○見かけは真面目そう、中味はめちゃおもろ
○なんと自転車指導員、オホーツクサイクリングでお世話になるかも
○きっと努力家、頭がいい、あ、ほめちゃった!

生田原の町物語
この地名はアイヌ語「イクタラ」(ササの意)から転化したものだそうです。

町章は、真ん中の円は字生田原を、周りの円は他の八つの字を示し、これを結合させ発展を象徴するスクリューにかたどったものだそうです。余談ですが、このスクリューを反対に向けて回すと、なんと“旧埼玉銀行”のマークそのものになるという話、ちょとおもしろいですね。

そして更にその8つの字名は、神道の祝詞からとった地名だというではありませんか。それは気がつきませんでした。そう言えば、「水穂」「安国」「旭野」「豊原」「伊吹」「八重」「岩戸」「清里」確かにそうですね!!


生田原の字名(太田でーす)
昭和18年当時に字名改正があり、当時の村長寺井実範が「大祓の詞」を原典として地域にあった字句を詠んだもの。
水穂〜本村中最も広大な農耕地で、本村開拓の発祥地であるので「瑞穂(みずほ)の国」からとり、文字をやさしくして決めた。
旭野〜眺望開けた旭日昇る地
安国〜「安国と平けく」(安楽国)
豊原〜広大で肥沃な農耕地が開けているため、「豊芦原」からとり、呼びやすく芦を除いた。
生田原〜大祓の詞には関係がなく、アイヌ語から転化したものであるが、道庁からは「生田」としてはどうかと意見があったが、田と原を生む生産性に富んだ中心地にふさわしい地名という、地元の主張がとおって決定。
岩戸〜白土や鉱石を産するので「天の磐門」(あめのいわと)からとり、岩戸を開いて資源を産する意をやさしくした。
伊吹・八重〜「八重雲を伊吹放たん」からそれぞれ命名。
清里〜生田原川上流の清玲の里ということで、「清め給え」からとって決定。

紋章は字名改称を契機として昭和20年2月「紋章決定の件」が村議会にかけられ決定。9つの字が生田原を中心に互いに協力しあい、スクリューのように常に躍動と前進を続けて、生々発展する平和な理想郷を建設しようとする希望を象徴している。(生田原のおっさん)


生田原の橋物語
生田原の町は留辺蘂方面から入ると大きな「平和橋」を渡る。生田原川に沿って町が形成され、反対の遠軽へ向かう方面には数多くの橋を次々と渡ることになる。

その橋の名前がおもしろいので列挙してみたいと思う。

「淀橋」「荒瀬橋」「流星橋」「竜上橋」「豊流橋」「青野橋」、そして最後の極めつけが「無名橋」である。

きっとひとつひとつ名前の由来があるのだろう。機会があれば、町の人にそんなこんなをゆっくりと聞いてみたい気がする。


生田原の町を撮影してきました。
http://www.webnews.gr.jp/webnews/01_0516ikutahara/1.html



もどる町村紹介のインデックス




Home
(C) 2001 webnews
ご意見・ご感想・お問い合わせはwebmaster@webnews.gr.jpまで