2003.9.29号 04:00配信


湧別町のデジカメスケッチ

(撮影:文 ゆうべつアウトドアクラブ)


デジカメスケッチ番外編 第6弾
「青森県 弘前城」

「みちのくの古都弘前」のイメージと違って街中は「おや?都会!」と感じながら、中心部の市役所や文化センター、図書館、観光館などが建ち並ぶ一角にある弘前城へ、「これだぁ〜」と思わず独り言をつぶやくほど感動的でした。
初代津軽藩主 津軽為信の三男で二代藩主信牧が江戸時代の前期1611年に築城した独立天守のお城は、最初五層だったのが築城から16年後に雷が落ちて焼失し、九代藩主寧親(やすちか)が櫓として幕府の許可を受け江戸時代後期1811年に建てたのが現在の三層の天守、内部は津軽藩の歴史資料館、本丸と北の郭は弘前公園として開放されていて観光客以外にも地元の人が散歩や遊場として生活の一部にしているのは感心しました。
本丸の周りに約2600本の桜が植えられていて満開の時期には凄いだろうなぁ〜と思い巡らしながら葉桜を眺めてました。
お城の警護を固める役目の櫓や城門の多くは江戸時代前期の築城のまま残され、天守を含む9棟が重要文化財に指定されているそうです。
お勧めビューは、3階の鉄砲狭間からの眺める岩木山とチョット遠いけど亀甲門とも呼ばれる北門とその向かいにある石場家の佇まいは昔の豪商とお城の関係が伺え感動ものです。
天守をお堀に面した南側下乗橋や東門から見ると「お城」に見えるのですが、入口のある西側や北側から見ると三層の櫓のように見えるのが不思議です。
その理由は、一層と二層のお堀側は江戸後期の天守閣の特徴的な切妻屋根の破風が中央に造られているからだそうで、西と北は地上からの攻撃を考え鉄の扉で櫓のように実用的に造られてるのだそうです。(なるほど)
それにしても、幕府の崩壊、廃藩置県を潜り抜け江戸時代のお城が今に残っているのは珍しく、盛岡、秋田、米沢、仙台といった大藩の連なる東北地方で天守を含めたお城が現存しているのはここだけ、その辺の歴史に興味のある方はこちらにリンクしてみてください。
ちなみに、ゆっくり見学すると2時間(筆者は3時間)はかかります。
また、車で行った時の駐車場はお城の南側「追手門」の向かいにある市の文化センターや図書館の地下駐車場が見学用に有料で開放されていてとても便利でした。

三の丸追手門
二の丸 南門
二の丸 未申櫓
内堀 下乗橋からの天守
天守正面は鉄扉の窓
三層の甍
1階の矢狭間と石落し
天守の内部
とち葺型銅板葺の屋根
3階の内部
殿様も見てた景色
三の丸 東門
東門からの天守
東門与力番所
二の丸 丑寅櫓
四の丸 北門
商家 石場屋
新・旧弘前の図書館




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