2000.9.26号 07:00配信


スペシャルオリンピックス北海道


こんにちは、皆さんご無沙汰でした。
スペシャルなニュースを報告します。

アスリートの山内朋美さんとコーチの武市さんが8月12日〜13日徳島市での全国アスリート会議に出席をしてきました。またまた、朋ちゃんの新しい第一歩が記された紀行文を、武市コーチからの原文でアップします。

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第2回全国アスリート委員会に参加して

SON・北海道 コーチ 武市慶子

「山内朋美アスリートとの出会い」

 スペシャルオリンピックス(SO)日本主催による「第2回全国アスリート委員会」が8月12日から13日にかけて徳島市で開かれました。北海道は、長野冬季ナショナルゲーム(2000年2月開催)に続き、初参加。3泊4日の日程で山内朋美アスリート委員長と一緒に、参加してきました。今回私は、コーチとしてではなく、アスリートサポーターの役で同行しました。

 SOでは、スポーツプログラムに参加する知的発達障害者を、アスリートと呼びます。この委員会の目的は、日本各地でSOに参加しているアスリートたちが集まり、意見交換をしたり、SO活動企画への参加や、自己表現、自己決定について研修することです。又、支援者のためのアスリート委員会支援活動の研修も、含まれています。

 長野大会に向けての、スキー練習の時から、個人的にも付き合いが多かった私にとって、朋ちゃんがどのように成長したのか、また、同じアスリート達と、どれくらい交流ができるようになったのかを把握する上でも、貴重な体験になると思っていました。朋ちゃんには、徳島の地で各地区のSOの仲間たちと関わって、友達を作ってほしい。楽しんでほしいと思いました。

 今までを振り返ると、朋ちゃんからは色々な事を教えてもらいました。人として大切な事、人との接し方、やさしさなどです。以前は話しかけても、一言しか返事がなく、うなずいて笑顔でにっこり笑うだけでした。SOのプログラムはいつも楽しいと言ってくれましたが、その言葉の裏は実際どうなのか。どう指導したらもっと表情豊かに、楽しんでもらえるのか、色々工夫しました。でも結果をあせるあまり、言葉で自分自身を表現できないアスリートとしてしか、見ていませんでした。

 初めて出会った頃は、試行錯誤しながら、どうしたらいいのか考えることが多く、悩んだ事もありました。でも、実際は表現できないのではなく、表現したいけれど、うまく言葉に表すことができなかっただけ、だと思います。本人自身の自信のなさと、周りの環境に慣れていないことが、口を重くしたのでしょう。しかし、SOの各プログラム(水泳、ボーリング、スキー)等の活動を通して、コーチ、ファミリーを含めた多くの人たちとの関わりが増えるにつれて、だんだん変化していきました。やがて、人と関わる事に、ほとんど抵抗を示さなくなりました。以前では考えられないほど表情豊かに、そして、よく話すようになりました。長野大会は、朋ちゃんにとって、今までの各プログラムでがんばってきた成果を、一気に自信につなげた機会であったと同時に、「アスリートだってやればできる」ということを、私たちに気づかせてくれました。

 アスリートにとって、多くのボランティアに支えられ、励まされ、そして、注目される事が、いかに精神の自立につながるかという事を、実感しました。感情のある私たちと何ら変わりないことに気づき、それ以来、アスリートと言うより同じ人間として、友達として関わりを持つよう様になりました。以前よりもアスリートの気持ち、コーチの役割について、より考えるようになったのも朋ちゃんのおかげです。アスリートと関わっているすべてのコーチは、彼ら彼女から「やさしさ」や「挑戦する事」を教わっているはずです。そして、自分自身についても見直す機会を与えてもらっています。SO活動は、「コーチがアスリートの潜在的可能性を発見していくとともに、コーチの可能性をアスリートが伸ばしている」と言えると思います。

 今回の委員会には、各地区から60名のアスリートとサポーターが、参加しました。二人とも徳島は初めて。北海道の気候とはかなり違い、暑さに対する不安もありましたが、むしろ、また新たな発見があるかと思うと、楽しみでした。プログラムには、阿波踊りも組み込まれており、朋ちゃんも楽しみにしていた事と思います。

11日、紋別から羽田まで直行便に乗り、4時間かけて徳島に向かいました。機内では、朋ちゃんと阿波踊りのことや、委員会についての会話をしながら、空の旅を楽しんでいましたが、乗り換えをして徳島行きの便が離陸した直後から飛行機酔いがひどくなりました。必死に励ましましたが、辛そうでした。サポーターとしてアスリートに、何が起こるか予測しておかなくてはならない事、体調を崩す事もあるということを、踏まえておくのは当然であるのに、準備不足でした。

徳島空港では、SO・日本徳島の坂田事務局長さんが「良く来たね」と、私たちを温かく迎えてくれました。朋ちゃんが体調を崩した事を告げると、私たちを気遣い、「SO事務局で休憩するといいですよ」と私たちを、徳島事務局に案内してくれました。坂田事務局長さんはすごく明るい方で、方言がまた、自然と心を和ませてくれました。台湾の招待バスケットボール大会のビデオを見せて頂きながら、互いのプログラム活動を話し合い、会話が弾むにつれ、北海道により興味を抱いたようです。SO活動が、全国各地で展開され、広がりをみせていることの素晴らしさを、徳島の地であらためて感じました。

今回のアスリート委員会を開催する為に、急きょバスケットボールの合宿を行い、前泊者と交流するプログラムが予定されていましたが、一日目は睡眠する事に・・・・

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「踊らにゃSOん、SOん」

2日目は阿波踊り、アスリート委員会があります。朋ちゃんの体調も少し回復し、朝は元気良く徳島のコーチ、アスリートと一緒に体操。暑く、照りつける太陽が徳島にいる実感でした。

 徳島に来て気づいた事は、ファミリーがものすごくSO日本・徳島の活動を支えている事でした。食事の準備をする傍ら、各地区のアスリート、コーチを気遣いながら、声をかけてくれます。とてもアスリート委員会に併せてファミリーを集めたようには思えないほど,ファミリー同士の仲が良く、参加者達を盛り上げてくれました。アスリートの人数が多いためか、コーチ、アスリート、ファミリーのみんなが、互いに支え合っている姿が印象的でした。SO活動はコーチとアスリートとだけで成り立つものではありません。アスリートを支えるファミリー、ボランティアもコーチと同じ対等の立場でなくてはならないと感じました。

SO日本・北海道は、アスリートやサポートするコーチは多くはありませんが、紋別市の他に、札幌、小樽、千歳地区で少しずつ広がりを見せています。活動の歴史がまだ浅いために、SOで活動するコーチとファミリーとの意見交換や交流の場が十分に確立していません。現実のSO活動とファミリーが期待する活動内容には、異なる事もあると思います。どのような視点で、どこまでアスリートを支援していけばよいのか、ファミリーとコーチが一緒に考え、作り上げていかなくてはいけないと思います。そう思うと、コーチ、ファミリーがSOの理念をどこまで理解しているのか、SO日本・北海道が目指すものは何か、活動が盛んになるにつれて、問われるようになると思いました。

以前は当たり前のように、コーチとしてプログラムに参加していて、気づいていませんでしたが、SO活動を支えるにはコーチ、ボランティア、ファミリー、医療、広報すべてが、必要であって、どの委員会もSO活動にとっては重要な役割を担っていると感じました。

 アスリート委員会は3時から予定されていましたが、当日徳島に到着する参加者を乗せたバスが、交通渋滞に遭い、時間通りに到着する事はできませんでした。その日の委員会は、明日に変更。夕方5時頃ようやく参加者全員が揃い、早速、阿波踊りの練習が始まりました。ほとんどの参加者が、阿波踊りを踊るのは初めて。踊りには男踊りと女踊りがあって、徳島の皆さんが鉦と笛に合わせ、踊りを披露してくれました。一見簡単そうに見えるのですが、実際踊ってみると手足のリズムの合わせ方が、とっても難しい。ぎこちない踊りに朋ちゃんと私は、不安げに互いの顔をうかがいながら踊っていました。でも徳島のアスリート達はとても上手、鳴り物がなり始めると、自然と手足を動かしリズム良く踊っている、体で覚えているのだなと思いました。

練習が終ると、早速バスに乗り阿波踊りの会場である鷲の門へ移動。SOの旗を高く掲げ、各地区の約60名の応援ツアーと、徳島の方が各地区のプラカードを持って待ちかまえていました。今回の委員会に合わせて、「スペシャルオリンピックス・日本連」を結成し、サポーターを含めて約120名が参加する事になっています。周囲を見渡すと、たくさんの踊り子達が、自分達の「連」の名前を染め抜いた浴衣姿で出番を待っていました。

そしていよいよスタート。「スペシャルオリンピックス・日本連」とアナウンスが流れ、鳴り物に合わせて北海道から、鹿児島までのアスリートとサポーターが一斉に演舞場を踊りだしました。観客席にいる大勢の見物客がこちらの踊りを注目。「ヤットサー!ヤットサー!」の掛け声は、踊りを楽しませ、笑顔と笑いが絶えませんでした。大勢の観衆に少し緊張していた朋ちゃんも、いざ踊りだすと、アスリート達とたくさんの人達に囲まれて、楽しそう。SO日本・北海道でも、地域の様々な行事に、アスリートたちがどんどん参加できる機会を、これから提供できたらいいのにな、とこの時思いました。

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「アスリート宣言」

 最終日(13日)はアスリート委員会。帰路の時間がおしせまっているため、地区活動の発表はなくなり、短時間でこの委員会の役員を、決める事になりました。アスリート委員会を設置している地区が少ないため、運営はSO日本・大阪の支援ボランティアが行い、参加サポーターは見学となりました。

大阪の大学生が、初対面であるアスリート達の気持ちを冷静に読み、指示的な言葉ではなく、少しずつアスリート達の気持ちを引き出して、議長と書記を決めていきます。議長と書記の役割を理解すると、アスリート達は手を挙げていきます。議長が決まると、今後地区組織内でやってみたいこと事、コーチに望む事などのテーマを、議長が自分の言葉で、仲間のアスリートたちに訊きます。すると、自分のサポーターの支えがないと、手を挙げて発言する事ができないと思っていたアスリートたちが、どんどん手を挙げて、「競技会をもっと開いて欲しい」、「他地区と交流していきたい」等、自分の意見を堂々と発表していました。

発言する各地区のアスリートたち。あるサポーターは「地区ではこんなに話したことがない。ここまで話ができるなんて」と驚きを隠せなかった様です。

アスリート同士が互いを刺激し合っている様に思いました。

当然言わないと思っていた私たちに、「自己表現する」ということ明示したのです。発言を聞き振り返ってみると、私は今までの活動のなかで、アスリート達が言いたいことがあるにもかかわらず、その気持ちに気がつかないでいたのかもしれない。又、発言する機会を奪ってきたことが、あったかもしれないとも思いました。SO日本・北海道のアスリート達にも同じ事ができるはずです。アスリートの発言が今後の活動で、できる、できないに関わらず意見を発表する場をどんどん増やしていけたらいいと思いました。

閉会式はアスリートによって行われました。その準備もアスリートたちが担当。字を書きたい人、プリントする人、絵を書く人、発表する人を自分の意思でそれぞれ決めていきました。

朋ちゃんはプリント担当のグループに入りました。参加賞の作成や、字を書く人と一緒にアスリート宣言を誰がするか決めたそうです。

そして、閉会式。アスリートが司会を務め、この委員会に携ったファミリー、サポーター、アスリートたちが感想を話していきました。そして、最後のアスリート宣言を、なんと、朋ちゃんが、細川会長に向けて、堂々と高らかに宣言したのです。

 人前では恥ずかしがり屋の朋ちゃんが、自分の意志で手を挙げて、多くの人がいる前で、発表できるようになったのだと思うと、とても感動しました。

 徳島での2日間の委員会は、無事終了。この徳島でも、いっぱい思い出ができました。SOの良さは、関わる人達が同じ目的で、日々活動している事、他地区の人達と交流できる事もすばらしいと思いました。

朋ちゃんは、万全の体調ではなかったですが、多くの人達に囲まれ、励まされ、自信につながる経験をしたと思います。今回のアスリート委員会の体験を、今後のSO日本・北海道の活動に生かして、地区組織のアスリートリーダーとして活躍してくれることを私は願ってやみません。私にとっても貴重で、とても感動的な体験でした。

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