2004.10.28号 18:00配信




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音楽屋♪(コラム)

2004/10/28(木)― こま ―


「金髪のおっちゃん」

2年前の夏、常呂町の風の学校にて大塚まさじさんのライブがあった時ヨレヨレの服を来た金髪の人がいて、スタッフの人かなぁ〜思ったらなにやら違う様子…
ステージでは、風の学校に保管されている地元の木と動物(鹿)の皮で作ったタイコを「金髪の大阪弁しゃべるおっちゃんやけど、一緒に叩かへんか?みなさんも聴いて下さい」と地元の子供たちと一緒にタイコを叩き「楽器も生き物や。触ってやらんといかんのや」と子供たちに教えていたのが印象的で、その時はまだ「砂川正和」と言う人を知らない私は彼のタイコ・ジンベを叩きながら歌うステージを始めて体験しました。非常に感動した私は、すっかり砂川さんが気になってライブ終了後、大切にジンベを運び、扱っていたのを見ていました。玄関の階段に座り、星空を見つめながら一人タバコをふかしていた砂川さんの姿。まだ目に焼き付いています。

その後、佐呂間町の仁倉小学校に砂川正和さんがいらっしゃると情報を頂き公開授業に参加して、アフリカタイコについてや叩き方について聞きました。仁倉小学校では、地元の木と牛の皮でタイコの作り方を砂川さんから教わっていたようで牛の皮が乾くまで、スケート靴の皮を使い、タイコを叩く練習のためちょっと風変わりな授業をしていました。裸足になった茶髪のおっちゃんが、子供たちの真ん中にジンベを抱えて座り興味津々の輝く瞳を持つ子供たちに、リズムについて教えていました。

授業が終わり、校長室で「日本人がアフリカを感じさせる演奏が出来るなんて凄いと思った」と感想を述べた時「なんで日本人がアフリカの音楽なのか。テーマはそこなんです」みたいな事をおっしゃってたのを思い出します。砂川さんは、ジンベに恋してアフリカ音楽を愛してヴォーカルとしての地位を日本に残してしまった人でジンベとアフリカ音楽にのめりこんでいった人だったんです。彼は以前、ソーバットレビューと言うバンドでヴォーカルをしていたそうです。あの石田長生さんもメンバーの一人。

ある日、リクオライブを成功させ、芦別ディランへロックのライブを体験しに行った時そこで出会ったミュージシャン、三宅伸治さんを乗せて北見へ走る事がありました。その時車の中で流していた音楽は、砂川さんの「Funky Peace」。三宅さんはとても驚いて、懐かしそうに「砂川さんは、友人です。一緒に演奏もしました」と教えてくれました。なんとも凄い偶然。そんな事もあり、再び砂川さんにお会いした時「三宅伸治さんがよろしくとおっしゃってました」と伝言したのですが、真っ黒な顔に白い歯が印象的な優しい顔が驚いた笑顔に変化し「ミヤケ?伸ちゃん?伸ちゃんか?伸ちゃん?」と、こんなところで旧友の名前を聞くとは思ってなかった子供のようなはしゃぎ様でした。いきさつをお話しすると、とっても嬉しそうに「CD買うてくれたんか?ありがとう!ありがとう!」「伸ちゃんはとってもいいヤツなんだ」と言いながら、スタッフの人にも「この人、伸ちゃん知ってるんやて!」と本当に嬉しそうに…。

2度目の小学校での公開授業の時に「お・見たことある顔がいてるなぁ〜」とニヤニヤしながら授業の準備をしていた砂川さん。すっかり覚えてもらえた♪嬉しかったのを思い出します。
授業が終った後、また校長室で「砂川さん、三宅さんと佐呂間でライブしませんか?」と交渉した時、元気な笑顔で「僕もそれを考えていたところだったんですよ」と言ってた砂川さん。
きっとやれる!とその時強く思いました。その後、仁倉小学校の先生が砂川さんを常呂町まで送り届けると言うので私もご一緒しました。車中ではライブの話しや何気無い話しで、私はただ嬉しくってぼーっとしてました。

その後、東京に戻った砂川さんから「伸ちゃんの連絡先教えて」と電話があり教えたところなーんと、三宅さんと石田さんのライブにスペシャルゲストとして参加すると聞いてビックリ。
ライブ当日、今日は3人で唄っているんだろうなぁ〜と遠い目で思っていたら打上の時だと思うけど、三宅さんから連絡が入り「今、砂川さんと一緒。かわるね」と電話の向こうから砂川さんの興奮と喜びの声。「どうもありがとな〜」なんか、とてもくすぐったい気分で私も嬉しかったのを思い出します。

そして今年、砂川さんのライブを初体験し「東京ダンシング!アフリカ」の上映会アフリカダンスのワークショップにも参加しとっても楽しい時間をご一緒させて頂きました。今年、秋にはまたいらっしゃると聞いていたので楽しみにしていました。なかなか情報が入らず、どうしたかなぁ〜と思っていたところ入院中に連絡が入りました。「あ!来る日が決まったのかな?」ワクワクしてお話しを聞いていると何やら沈んだ様子の声から「亡くなりました」と。手術後の19日夕方の事でした。「17日に、亡くなったそうです」
信じられなくてじっとしていられなくて誰かに確認したくて鼻声で歯も抜いたばかりなので言葉がうまく発せられずしかも泣声なので恥ずかしかったのですが、常呂町の知人に電話したところ、やはりそのとおりで常呂町から代表者が一人東京に飛んだと聞きました。

どう言ったらいいのか…砂川さんは「精神的な部分を見る」人だと思います。表面のつくろった部分じゃなく、その裏側をちゃんと見ていた人。必要であれば、裏側を大切にしていた人。
表面上は厳しかったように感じますが、根は優しい人だったと思います。素晴らしい精神的部分を人々に伝えてきた人。理解できない人も居たかと思いますが、私には感覚で理解できたと思ってます。そんな砂川正和さんが叩くジンベに惚れて、砂川さんという人に魅力を感じた私は見る目があるなぁ〜なんて。

残されたご家族や音楽関係の親しい方たちが、悲しみや心の苦痛から解放され健やかに過ごせるよう祈ります。

また、どこかであの力強いリズムを聴く事、感じる事が出来ると信じて…。
さようなら、金髪のおっちゃん。




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