2000.3.28号 08:00配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「仕事だー」

寒さを楽しみ、大自然に感動し、いろいろな分野の人が日々行う作業を見るか、おもしろそうだったら手伝い・・・すべての事を好奇心一杯でと言えば聞こえはよいがまあ越冬生活を遊び半分であちこち移動していたのは私とドクターだけだったようで隊員諸氏は、真面目にもくもくと観測活動をこなしていた。

1997年2月23日「林隊員」が担当する大気球の打ち上げが行われた。学問的なことはよくわからないが、オゾンゾンデとエアロゾルゾンデの2回に分けて打ち上げられ、うまくあがれば30km〜40km上空まで到達するとか・・・・。下にぶら下げられているのは「ペイロード」と教えられた。 データを地上に送ってくる送信機である。上空はー100℃にも達する超低温対策のため、ペイロード本体は発泡スチロールに覆われ、その間からは送信用の小さなアンテナやコードがガムテープで固定されている。林隊員の説明によると日本でも最先端のマシンであるとか。

ドームのような低温地帯で、高空の大気の状態を調査するのは世界でも初めての試みで、大気学会でも注目を集めているとのこと。が、素人目にはその発泡スチロールで覆われた箱が、どう見ても最先端の機械には見えず、よく言って小学生が手作りした夏休みの自由研究にしか写らない。「ホントニー?? ウソー!!」設営部隊の猜疑心たっぷりの視線に気づいたのか「外見はどうあれ、どちらのペイロードともスペアはあまり持ってきていません。値段はオゾンゾンデで¥500,000  エアロゾルで¥2、000、000します。」以後ペイロードの扱いが国宝級のガラス細工をさわるように、大事にソフトに変わったことはいうまでもない。

午前10:10分放球作業が開始された。 風はほぼ無風状態ではあるが外気温はなんとー55℃! 2重にした皮手袋の指先がじんじんとしびれてくる。まずは第一弾のオゾンゾンデ。これはエアロゾルに比べて若干小型で気球も3m四方位に膨らませる。 60kgヘリウムボンベからの充填も1本以内で済み、ペイロードの重さも300g位である。抜けるような南極の青空に、真っ白い気球がスルスルと上昇していった。絶景! 絶景!前哨戦とも言うべきオゾンゾンデが成功し、午後からはいよいよ大型のエアロゾルの出番である。前回は気球との長さを調整する「巻き下げ器」のトラブルで放球直後にペイロードが雪面に激突し、大失敗の幕切れとなった。又その時に一応打ち上げに成功したオゾンゾンデも、最初想定していた高度に達する前に気球が破裂してしまったようで、今回はガスの充填量も調整し満を持しての打ち上げとなった。高空に上がると気圧差で気球は4〜5倍に膨れ上がるのだとか・・・。

ヘリウムボンベからの充填作業も無事終了し、ペイロードも準備完了。いよいよ打ち上げである。金戸さんの無機質な声(こういう時には妙に似合う)でカウントダウン「3・2・1・・・・・打ち上げ」気球はするすると手を離れ青空へ吸い込まれていった。 行くはずであった・・が・・・5m程上昇した気球はなぜか下降を開始し、地表をずるずるペイロードを引きずりながら移動を開始したのである。現場監督の林隊員は「あー¥2、000、000が!」とはもちろん叫ばず、ひたすら回収すべくダッシュした。が南極の自然はあまりにもきびしく、人間の足ではとても追いつけないスピードでカタバ風に乗り地平線の彼方に消えていった。

追うのをあきらめじっと気球を見つめながらたたずむ林隊員の後ろ姿は、西部劇のシェーンを見送る少年、レギオンを倒して傷だらけになりながらも上昇していくガメラに敬礼をする自衛隊員、宇宙に帰っていくウルトラセブンを見つめるアンヌ隊員の様に、深く哀愁と悲しみと感動に満ちた物であった。青空に上昇する力を与えられなかったエアロゾルゾンデはその後、地べたのデーターを延々と送ってきつつ、南極の地の果てに消えていった。尚必殺のリベンジを行うべく、次の日に再び大気球の打ち上げが行われた。こちらは見事成功し、貴重な資料を入手することができた。
メデタシ! メデタシ!


大気球放球


時価¥2,000,000
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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