2000.1.13号 06:30配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「出港」

1996年11月14日たくさんの人達の、テープの波、励ましの声、そして涙に見送られて、海上自衛隊砕氷艦「しらせ」は静かに晴海埠頭を出航した。行き先ははるか15000km彼方の南極大陸。 第38次南極地域観測隊、越冬隊40名、夏隊・観測交換科学者・報道オブザーバー総勢60名余り・・・・。越冬隊にとっては泣いても吠えても再来年の1998年の3月28日までは、寄港地のフリーマントルか「しらせ」が南極大陸を離岸するときまでに急病にならない限りは、日本に帰ってくることはできない。 

まあ一回目の時は結構悲壮な気持ちで「全日本だ。がんばろー!!」と心に強く誓った物であったが、今回は前夜の全日空ホテルで挙行された「壮行会」の只だからと卑しく飲みまくった酒が重く胃にわだかまり、「早くベッドで寝たいなあー」と真に不定心な気持ちで出港を迎えた。テープのやりとりで埋まった岸壁を「しらせ」は定刻通り離岸した。隣では、涙のラインを頬に引いている同じ「海上保安庁 通信 田中結隊員」が感慨深げに直立不動。岸壁も遠くなったところで、さて艦内に入りましょうと思ったら、ビデオやカメラを持った隊員諸氏が、後部に一目散に走っていく。なんだろうと思って寄っていったら、なんと「しらせ」後方にその純白の船体を浮かべているのは、我が海上保安庁の巡視船ではないか!!

指揮をとっているのは、我が親友「池田耕治氏」である。これはちょっとやらせで、前に逢った時「かっこいい所見せるからねー」とのお約束をかわし、パトロールの合間に見送りに来てくれたのであるが、これが感傷的になっている隊員に受けたらしく、少なくとも23本位のフイルムは消費されたと思う。巡視船はそのスマートな船体を翻して水平線に汽笛とともに消えていった。「巡視船が見送りに来るなんて、西村さんそんなに偉いんですか??」と、仲良しになった海上自衛隊某氏。
「うーん長官から数えて3番目位かな・・。」とおおぼらをふきまくっていた。出港してどうするか? 早速南極行動に備えたミーテイングは始まらない。まず免税品の酒の配布作業からすべては開始される。免税品倉庫から全員作業で「隊員公室」と呼ばれる食堂に運びあげ、注文リストに従って、個人に配布される。これは越冬が開始される次の年の2月1日までの個人消費分なので、必然的に量も増える。これは支度金と呼ばれる、「観測隊手当」の中から天引きされる。知らない人が見れば、アルコール依存症ではないかと勘違いされる位のビールやウイスキー、ブランデイ、ワイン等を各居室に運んだ所で、その日の作業は終了。後はひたすらベッドで、出港前のアルコールを追い出すべく、休憩である。日本を出て4〜5日すると、かの有名な「レイテ沖海戦」が戦われた海域に到着する。ここでしめやかに戦没者の追悼式が行われ、それから2日程で赤道を通過する際には盛大に「赤道際」が挙行される。海上自衛隊、観測隊共々大いに楽しみ、やがて懲役1年4ヶ月を迎える前の最後の娑婆? フリーマントルに入港し最後の休養と補給が行われる。


「しらせ 出港」撮影:産経新聞社 芹澤 伸夫
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



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